History
Ⅰ【料理人人生を振り返って】
横浜で定年を迎えた私は、この桐生の地を新たな出発点として選んだ、「退職までが準備期間、これからが本番」、何処かで耳にした言葉である。これまで築いてきた知識と技術を、無用とするのにはまだ早い…。
二十歳の時にたった一人での上京。
新宿のステーキレストランで働き始め、同店の料理顧問を務めていた丸の内ホテルの総料理長の紹介を経て、御茶の水の『山の上ホテル』に入社した。
当時のフランス料理界はホテル至上主義。街場では見た事もない食材に触れられ、そして初めて目にする見たこともない料理が次々と作り出されていた。生まれ育った足利の食と都会の食の違いに、食文化の遅れを否応なしに思い知らされた瞬間でもあった。
入社してからの一年間は包丁すら持たせてもらえず、ただひたすら鍋洗いの毎日。隅に残っていたソースの味を見ては、ひたすら脳裏に刻み込む毎日だった、いつの日か自分に作るチャンスが回って来た時の為に…!
当時、テレビ放送中のドラマで堺正章主演の『天皇の料理番』が放送されていた。
ドラマの中の「秋山徳三」がそうであったように、ある日突然、自分が今まで知らなかった未知の世界に触れた時、激しいばかりの情熱の生まれる瞬間がそこに有ることを私は理解する事ができる。
厨房では頭を小突かれ足を蹴られながら育った、隣の厨房では鍋も飛んできた事が有ると聞いている。
有名ホテルを食べ歩き、本場フランスの三ッ星の味を学び、氷彫刻にも挑戦し、飛鳥にも乗船して世界も巡った。ホテル時代には天皇陛下や起子さまへの料理の御提供をするチャンスにも恵まれた。ともかくそこに学ぶべき事が有れば何にでも挑戦して来た。
41歳の時、横浜ロイヤルパークホテルのレストラン料理長を任されるまでに至った。
『フランス料理の基本とテクニックはすでに身に付いている』そんな自惚れた気持が無かったとは言えない。
しかしメニューを決定し、いざ部下たちに作らせてみると、味の面で私が思っていた料理の仕上がりになっていない。なぜ?、どうして?、言われた通りに作ったのかと、部下に対して苦言しか出る言葉が無かった。
Ⅱ【美味しい料理ってどんな料理】
他人に料理を教える時、『作業・工程』は伝えられても、美味しさを伝えるのは難しい。個人の味覚は過去にどんな物を食して来たかによって、すでに確立されてしまっているからである。
ホテル入社当時の私同様、部下達もフランス料理など食べた事も無かったのだから、美味しさが伝わらなかったのも無理はない。
今思えば、私にとっての本当の意味での料理修業はこの時から始まったのかもしれない。これまで私が身に付けて来た技術と知識は、これから料理を作る上での、単なる一つのピースを手にしただけだった事に初めて気づかされた。
料理に偶然は無い。求める味が見えていなければ、ゴールには辿り着けず、間違ったゴールに終わってしまっても、それさえ気付かずに先に進んで行ってしまう危険性が、フランス料理の世界(他国の)には隠れている。
その為に『美味しさとは』何か、『感動を与えられる味とは』何か。先ずはそれを具体的に解明する必要性に迫られた。
先人たちの料理書を細部まで読み返し、過去のルセット(レシピー)の見直し行い、他分野である中華・京懐石などの料理理論も学び、食べ歩きも再開した。『美味しさの条件とは?』『美味しさの共通点とは?』そんな漠然とした探し物をする日々が始まった。
あれから既に30年が過ぎた。そして、和洋中を問わず、ある一定の条件を満たしている味付けが叶った時、いつでも『美味しかったよ』と満足されているお客様がそこに居る事に気付ける時がきた。さらにそれがお客様自身『初めて出会った美味しさ』で有った時には、それが『感動の美味しさ』へと変わる事も理解できるまでになっていた。
その後は、過去に作り続けてきた膨大な数の料理ルセット(レシピー)の味の再確認という作業が始まった。すると当時は普通に美味しかったと感じていた筈の料理の中に、先ほどの『ある一定の条件』を満たしていない料理が存在していた事に愕然とする。
思い返してみれば、先輩達から教えられた通りに、何の疑問も無く作り続けてきた料理である。おそらく間違ったゴールで満足していたのだろうと深く反省させられる思いがした。
Ⅲ【旨いと美味い、この違いは…』
この言葉の違いが解りますか、両方とも「うまい」と読みます。
では『旨い』という文字は何を意味するのだろう。
《うまい食物のこと/旨は旨肉で脂ののった肉/旨はもと神に供するもの》。と辞書にはある。
様は「主旨・内容」を表しておりそのもの本体の状態を指しているようだ。脂がのった鮪の大トロ/ネットリとしたウニ/霜降りの黒毛和牛など、これらは手を掛けずともそのままで旨い。このように本体の味を表現するのにはこちらの『旨い』が適当だと受け取る事が出来よう。例外は有るが、要は高級食材=旨い、と言っても間違いではないようだ。
それでは『美味い』はどうだろう。文字通りに解釈すれば「うつくしい味」と言う事になる。でも「美くしい味」ってどんな味?
冷凍品や既製品はもちろん論外だが、高級品では無く、そこそこの食材であっても、「手間暇を惜しまず食べる人の事に思いを寄せ」ながら、「かつて生きていたであろうこの生命への感謝と敬意を忘れず」に、大切に仕上げられた料理には、料理人の真心と努力が表われて来る。このような料理が私は『美しい味の料理』ではないかと考える。
『旨い料理』は高級なお店に行き、高い料金を払えば、誰でも何処でも食べる事が出来る。でも普通の人は、私を含めて簡単に行けるような金額では無いのも解っている。
では、『美味い料理』はどうだろう。
私たち食べ手が、後者の様な腕の良い料理人の居る店を選び出す事が出来さえすれば、何も高額な料金を支払わなくても、そこそこの料金で『美味い料理』は食べられる、と言う事に成るのではないだろうか?
ところが残念な事に、私の料理人人生の出会いの中で沢山の料理人と関わってきたが、後者の様な有能な料理人は全体の一割にも満たないのが現実で有る事を報告せざるをえない。
つまり後者の場合には、食べ手の私たちも食育によって己の舌を鍛え、美味い料理を見い出せるだけの『味覚』と『知識』を養う努力が必要と言う事になる。どちらにしても、楽をしていては本当においしい物は食べられないと言う事か…
Ⅳ『料理にコツは有るの…?』
「美味しい料理を作るコツは?」と聞かれると「料理は愛情」という決り切った会話をよく耳にする。
質問した人は本当に納得しているのだろうか。答えた人はこの言葉の持つ意味を本当に理解して言っているのだろうか?
日本国内でミシュランの発刊以来、三ッ星を連続で獲得していた『すきやばし次郎』こと小野次郎氏、彼は自分の事を《人一倍不器用な人間》だと言っている。今でもお土産用の寿司を綺麗に包む事も出来ないそうだ。では、そんな彼がどのようにして三ッ星を獲得するまでに至る事が出来たのだろうか。
次郎氏は不器用だからこそ人一倍練習を積んだ、そこから「次郎握り」なる彼独自のシャリの握り方も身につけて行った。そして常に『もっと美味しくする方法は無いか、もっと何か有るはずだ』といつも自問自答を繰り返す日々を続けてきたと聞く。
フランスの料理界を牽引し続けていたジョエル・ロビション氏が日本国内で唯一信頼している寿司職人でもある。
実はこのロビション氏、まだ二ツ星でホテルニッコードパリにて働いていた当時、ホテル内にある日本食レストラン(弁慶)の寿司職人の仕事を見て、『寿司は料理ではない、ライスの上にただ生の魚を乗せているだけじゃないか、料理としての仕事がなされていない』と言っていた事があると聞く。その彼が小野次郎氏の作る寿司を口にした時には、『この寿司は仕事をしている』と認めざるを得なかったという。
『寿司とは、世界でも類を見ないほど、極めてシンプルに構成された料理である』(次郎本店のホームページより抜粋)。
しかしそのシンプルな中に、小野次郎氏の絶え間なき探求心が常に継続されてきたからこそ、他人には到達できない境地の寿司が築き上げられてきたのだろう。そして誰もが認めざるをえない美味しさが其処に存在できたのだ。
『料理は愛情』、何とも耳に心地よい響きではあるが、この愛情を形に表わすという事は、ごまかしの効かない地道な努力と、常に探し求めるという苦悩の探究心が無ければ辿り着けない『境地』で有る事を理解する必要がある。
かの魯山人が言っている、『もし君がそれを出来ると言うのなら、私はいつでも君にこの頭を下げよう』と…。